第6試合:初心者の為のプロレスの歴史(昭和の新日本プロレス編)
ブエナスノーチェス!ロッキーです(≧▽≦)
2019年もあと2週間と少し。
2020年は東京オリンピックもありますが、プロレスファンにとってはまず正月!
新日本プロレスの東京ドーム大会2daysは勿論の事、他の団体も各地で正月から熱戦を繰り広げるべく多くの興行があるんです( *´艸`)
プロレスファンにとってお正月は1年で1番盛り上がる時期といっても過言ではありません!!
今回から数回に分けて初心者の方向けに、わかりやすく日本のプロレスの歴史を説明していきたいと思います。
今回は昭和編をご案内します。
少し簡潔にまとめて話すので中級者以上の方はツッコミを入れたくなるでしょうがそこは温かい目で読んでください(>_<)(笑)
以前にお話ししましたがプロレスは格闘技でありドラマです。
一話完結の要素もあるので一つの試合でも感動できますが、やはりそこに至る歴史の流れを知っていればより楽しみが増すのは間違いありません。
そもそも新日本プロレスは1972年に設立した、いま日本で最も歴史あるプロレス団体です。
創設者はアントニオ猪木。そう、あの「1,2,3、ダー!!」の人です。
彼が日本プロレスから紆余曲折を経て独立して作った団体が新日本プロレス。
最初は中々人気も出ず、倒産の危機も何度もあったらしいですがプロレスこそ最強!という考えのもとに異種格闘技戦というボクシングや柔道のチャンピオン達との戦いを行いました。
中でもボクシングヘビー級の伝説のチャンピオン、モハメド・アリとの戦いは世界中で話題になるほどの試合でした。
その後、1970年代後半から80年代初期に新しいスターが3人生まれます。
猪木とこの3人によって新日本プロレスは最初のブームとなります。
一人目は藤波辰爾。日本のプロレス界にジュニアヘビー級というジャンルを確立した伝説のレスラーです(^^♪
ドラゴンスープレックス、ドラゴンスクリューなど今のプロレスでも欠かせない技を生んだ最高のテクニックを持ったレスラーです。
彼が出てくるまでは体が大きくて、怖い印象の人がレスラーのイメージでしたが、甘いマスクや無駄な脂肪が無いマッチョな身体で女性ファンをプロレスに引き込んだ元祖アイドルレスラーですね☆
二人目は長州力。アマレスのオリンピック選手として新日本プロレスに破格のエリートとして入った最初のスカウト選手で、後に革命戦士として藤波との名勝負数え唄と呼ばれる激戦、猪木との世代闘争、他団体への参戦を行いました。
スコーピオンデスロックは彼が元祖ですし、日本人で一番のラリアット使いは彼だと私は思います。
彼が出てきてからのプロレス界は大きく変化しました。
それまでは日本人対外国人が当たり前だったのに日本人対決を主流にしたり、ユニットを作ったり、タッグマッチでツープラトン攻撃を編み出したり、何より年功序列でしか上に上がれないという日本の縦社会のルールを壊して実力と人気があればトップに立てるという日本全体での習慣を壊した事で当時のサラリーマンが自分と重ね合わせて熱狂的なファンとなり絶大な人気を誇りました☆
三人目はタイガーマスク。今、新日本プロレスにいるのは4代目ですが初代は80年代に登場しとてつもない身体能力と飛び技で猪木、藤波、長州を超える人気で日本全国をプロレスブームにした日本の歴史上で最も人気があったプロレスラーと言えるでしょう。
今はウィル・オスプレイや高橋ヒロムなど素晴らしいジュニアヘビー級のレスラーたちが超人的な試合をしていますが、タイガーマスクは今から40年前にそれと同じかそれ以上の試合をしていたんです☆
あー、長くなっちゃったな・・(笑)
昭和のプロレスについてはいったんここまでにします!
UWFとか書き始めたら止まらなくなっちゃう(>_<)
次回は昭和の終わりから平成にかけてを書きますね。
今日はこの辺で。。皆様、アディオス!